「大丈夫だよ」という言葉。
いま、傾聴(心に寄り添う話の聴き方)について
マンツーマンで学ばせていただています。
まだまだ初歩の初歩ですが
知るほどに、
ほんとうに… ほんとうに…
相手を主役において「耳と心を傾ける」って
奥深く、難しいものですね。
「エネルギーの要ること」と
そのカウンセラーさんもおっしゃっていました。
これまでの、自分の聴き方はなんだったんじゃ!?と
穴を掘って入りたくなるくらい
反省や、気づきが多くて。。
「毎日が1年生! こっからスタート!」と
自分に言い聞かせてます^^;
そんな中で、思い出したことがありました。
まだ、上の子が3歳くらいの頃のこと。
このときすでに、
なかなかの感受性の強さを発揮していて
毎日振り回されて、
もうへとへとだったんですよね。
「この人は、なんか特性持ってる…」と
生まれてわりと間もない頃
いや、1歳になる以前から
うすうす感じていたのですが、
あるとき、仲のよかったママ友に話してみたんです。
もしかして
うちの子発達障害あるんじゃないかと
思ってるって。
(なんとも対応しづらい話を
よく聞いてくれたと思います)
そしてそのあと、彼女は
「心配しすぎだよ、きっと大丈夫だよ」と
やさしく言ってくれました。
励ますつもりで言ってくれたと思います。
でも、わたしはそのとき
「そうかな、そうかもしれないね。ありがとう」
と返しつつも、内心、複雑だったんです。
大丈夫じゃない感覚があるから、
そう言ったのにな。。。
(↑ 正直な心の声)
思いやりもとても感じられたし
怒りとかでももちろんないけれど、
さみしさみたいな感情が
そのとき、ふっと少しだけ残ったのでした。
ちょっとした擦り傷に
そよ風が吹いただけでもヒリヒリ感じる
わたしの心の状態は、
それだけまいってたんだなぁと、今感じます。
あのとき、どういう言葉かけだったら
わたしはホッとしたんだろうか。
思い出したことで、
今度はこれが課題のように思えて
自分が「聴き手」になった場合
どう返すだろう?と
ぐるぐる考えていました。
正解の言葉かけというのはないと思うし、
すごくデリケートな話題なので
そのママ友も、遠慮や気遣いのうえ
あんな風に言ってくれたのだろうというのは
十分想像できます。
「そっか、そんなに心配なのかぁ」とか
(この言葉がベストなわけではないけど)
なんとなくでいいから
「わたし寄り」の目線で、
いっしょにみてくれているような
言葉というか雰囲気があれば、
すごく安心したのかもしれません。
(ただ、突然あんな話聞かされたら困るし、
「検査いったら?」って進言するのも勇気いるし、
雑談に、そんな最高のひとことを求めることはないです。
そのママ友とは、
いまも変わらず仲はいいです、念のため。)
だけどさ。
こんなふうに書きつつも。
相手の気持ちよりも
自分の気持ちが先に走っちゃう聴き方を
わたし、100万回もやってきてしまったと思います。
とくに子どもに対して。。。
神経質で、心配性なところや
何か夢中になった世界から
なかなか戻ってきにくい性質をもっているからこそ
いろいろ話を持ち掛けてくるのに
「なんとかなるって~」とか
「ハイハイ~」とか、言ってしまって。
話を切り上げたかったり、
自分の理想とは離れたことを
相談されたりすると、とくにやりがちで。
気をつけてきたつもりでも
関係性に甘えてしまって、いかんなぁと猛省しています。
わたしのなかでは
「大丈夫」「なんとかなる」「がんばろ」は
逆に壁をつくってしまうリスクをはらむ
適当には使えない、要注意のワード。
ああ、ほんとうに「聴く」って難しいぃぃ。
それでも、話し手の力になれるような聴き方を
意識していたいんです。