とびとび日記

距離を置く、置かれることで逆に得たもの。

子どもが学校に行けない、通うのが続かない。

そんなことが続いたり、少し不思議な特性がある、となると

まわりのお母さんたちと、

次第に会話がかみ合わなくなってくる、浮いてしまう…

ということがあると思います。

 

わたしもそうでした。

ほんとうに小さいころは、仲良くできていた(と思う)

おともだち親子でも

どうにもならない体調の不安定さ、

集団へのなじめなさなどから

学校という共通の場での体験が減っていくため、

それまで当たり前にしていたあいさつや声かけも

どうすればいいのだろうか? という気遅れに変わってしまいました。

 

「最近どう? 〇〇ちゃんがんばってる?」という何気ないひと言に

ありのままにこちらの実情、現状を話すと、

なんだか重い空気感になってしまうこともあるので

それはそれで、雰囲気が沈まないように

話を切り上げるよう、気をつかってしまったり。

 

逆に、部活での活躍や「青春!」みたいな話を聞くと

「おおぉ… まぶしい…」と目がくらみ

比較したくなったり

正直じりじりした気持ちになってしまったり。

 

そんなんで、こちら側から心や連絡に距離を置くことも、

そのまた逆も、ありました。

 

ちょっと人とは違う感性や特性がある子がいると

いろんな物事に寛容にならざるをえない笑 ものですが、

ほかの家庭には、まったく違うルールや価値観があります。

 

その「許容範囲」に対して理解できない、となると

批判や非難の気持ちを抱えたまま

向きあうことになるので

親も子も、おつきあい自体に無理が生じ、薄れていきます。

 

でもそこには、誰も悪い人はいません。

 

こんなふうにして、すきま風のように

孤独感というものは

生まれるのだろうかと思いました。

 

もともと自分は、ひとりでいる方が落ち着くタイプだし

仕事も「フリーランス」という形態だし。

 

部活の親の会や(のちに退部しましたが)、

ママ友さんとの交流も少ない方だったので

淡々と忙しさにまみれて過ごしてきました。

(仕事に救われた面もあるかもしれません)

 

ふと「話せる人がいない」と

心もとなくなる瞬間はありましたが

自然に離れていくもの、人に対しては

あまり執着しませんでした。

 

少しだけ孤独感を感じつつも、

距離を置く、置かれることで

わたしは真っ黒になりそうな心を

守りたかったんですよね。

 

今は、それでよかったと感じます。

 

不思議なもので、

いろいろから距離を置いているうちに

同じようなお子さんを抱えている親や

さまざまな経験や思いをされてきた方との

つながりは、逆に増えていきました。

 

親もですが、子どもたちも同じで。

摩擦ではなく、信頼感のある関係性を

育める人たちに出会えたみたいです。

 

数は少なくとも、深くわかちあえる人たちとの

「つながり感」というのは

自律神経(副交感神経)の安定のためにも、とても大切な要素です。

 

こちらの記事でふれた、浅井咲子さんの著書の中でも

詳しく述べられています)

 

そんな方々とお茶して、

心のうちを聞きあったり

協働するような動きも出てきて。

 

「この歳で、心底語れる

友人できると思わなかったよね!」と

話したりもしています。

 

おつきあいする人の顔ぶれは

入れ替わってしまったかもしれないけれど

距離を置くことで、

心の距離が近い方たちとのつながりは増えたのは

なんとも自然の妙、という気がします。

 

わたしにとっては、

心の「距離感」に従うことは必然でした。

 

もし同じような孤独感を抱えた方がいらしたら、

近い感覚でお話が聴ける

土壌を準備していたのかなと思います。