不登校でも子どもは成長するし、休ませたことを良かったと思える日が来る。
息子氏が中学校を休み始めたのは、1年生の冬間近でした。
もともと、小学校の高学年のあたりから
集団の中での過ごし方、授業の中での様子をみていて
「あやしいな…」と
うすうす感じてはいたのですが。
友達関係のことなども重なり
起きれなくなり、表情も冴えなくなって
苦しそうな日が続いたので
「しばらく休もう」にしたのでした。
息子氏は、自分の考えていることや感情を
言葉にして表すのはあまり得意ではないタイプです。
そのころは、何も話さず
(もともと話さないけど)
顔色も悪くて、心配はしていたのですが
いろいろ聞いても苦しさが増しそうだし、
何で自分がモヤモヤしているかも
とらえきれてないような感じだったので
言葉は悪いのですが、放っておきました(!)
そしたら、まあ、
そのまま2年も
過ぎてしまったのですが^^;
3年生の春からは、地区の学校には
月1~2回くらい別室登校して。
あとは体調がよければ、
気の合う友人もいるフリースクールに通いました。
高校受験も無事クリアして、
卒業間近な最近になって、ふと話の流れから
「この数年、何か成長したと思う?」と聞いてみたら
「そうだね~」と、とつとつと話し始めたのです。
まず、なぜ行けなくなったのか。
俺はそのころ、クラス委員やってたから
みんなに言うことを聞いてもらいたかったけど
言うこと「きかせる」こと、それが全然できなかった。
(ちょっと距離も置かれたようでした)
どうしても頭から離れない存在もいて
気持ちが晴れなくて、行くのが苦しくなった。
今はこうして話せるけど、そのころは
こんなふうに自分の気持ちが分からなかった。
あのころは「自分のやり方」っていうものに
固執してたから苦しかったんだなって思う。
みんな人の言うこと「きく」わけじゃないし。
それに、学校行きたくないとか、
自分の気持ちを出してはいけないと思ってた。
それは、わがままだと思ってたし、
親に迷惑かけるから、言い出すまで苦しかった。
いまは大分ラクだけどね~、と。
これを聞いて、
あのとき休む判断でよかったと思いました。
学校を休むことで、
たくさんの教育的機会は失ったと思うし
人と人の間でしか得られないようなものも、
スルーされていってしまった感はあります。
(それも大人の勝手な思い込みかもしれませんが)
だけど、子どもは社会人と違って
ゆっくり休んでもOKとされる
学校以外の場がほぼないんですよね。
会社だったら、
メンタルケアが必要ですとなったら
休職や配置転換など、わりといろんな
対処をしてもらえたり、
ある程度は「寛容さ」をもって
受け入れてもらえます。
でも、学校だと「がんばれ」と言われてしまう。
(わたしも最初のうちは言ってしまってました。。)
それはとても苦しいこと。
「学校に行きたくない・行かない」と言われた日には
親も正直焦っちゃいますけど
休んでいて、他者との接触が少ない中でも、
子どもは親が思う以上に、
きちんといろいろ感じているし、
ただゲームしたり、
引きこもってるだけじゃないんだなと
息子氏は感じさせてくれました。
フリースクールからの帰り道
車中にて、15分くらいの会話でしたが。
この3年近くの思いを言葉にして
話してくれたことが、
わたしは本当にうれしかったです。
時間が育てるものを信じていいんだなと
急がせなくてもいいんだと。
「委ねる」ことは相当な勇気がいるけれど
どうにかしようとしない、待つこと。
正確には、
「何もできなかった」と
言うべきかもしれませんが、
それだけが育むものも
きっとあるんだと思います。