「立派」を求めず「十分」で
なかなか、「学校に行って、机に座って勉学する」ことには気の向かないうちの子ですが。
アルバイトには大変熱心です (笑)
「学校で教科書見て、ノートとって、テストに解答する」
実技系は別として、これが、実生活にどうつながるのか、いつどんな風に役立っていくのか。
うまく結びつかないようです。
(テストの点数はよかったけど、わたしもそう考えていた子どもでした)
もちろん、広い視点でみると、高校卒業の認定を得たり、思考のトレーニングになったりと、結びついてはいるんだけれど。
投げっぱなしのブーメラン、というのかな。
身近じゃない、というか。
その「教科」でごはんを食べていく場合はわかりやすいけれど。
サインコサインタンジェント とか毎日使わないもんね。。
そして、ほぼ忘れた。。
その点、「働く」ということは非常にわかりやすくつながっているからいい と言います。
労力を提供して、その対価としてお給料がいただける。
出した分、戻ってくる。
好きなレジ打ちもできる。
お金の動きや、お店の内情や現実をみて社会を知る。
大人のやりとりを垣間見て、礼儀や思いやり、気配りを知る。
この社会勉強のほうが「おもしろいんだ」と言います。
なにより、彼女には「好きなアーティストの「推し活」したいから稼ぐ!!」
という強力な目的があり。
そのためなら、苦手な電話もかけるし、履歴書も書いてバイトの面接に挑みます。
すでに面接を5回体験、バイトも2つめ。
不採用もあるけど、その際の企業側の態度ですら、「世を見る目」として涵養されているんだと感じます。
娘の友人たちも、ほぼほぼバイトしてますが、「不採用の連絡すらこなかった~」という娘に、
「そんな不誠実な職場、採用にならなくてよかったじゃん!」
「あたしなんて●回落ちたよ! 経験が違う経験が!」
と、励ましの言葉をかけてるのを聞いてると愉快です^^
学校というものには、フィットする感覚が薄いけれど、わたしはもうこれで十分!と思います。
起床後エンジンかかるまで長いし、すぐ体調崩し気味で。
学校くらい時間通りに行けないと、この先まずいんじゃないか…とか、心配がゼロなわけではないんだけど。
目的のために行動できるんだから、十二分といってもいいなぁ。
先日、フリースクールのPTAで講演された先生も「不登校と、卒業後の困難さには、それほど強い相関関係はない」というようなお話をされていました。
(これはきちんとした研究データがとられているもの)
毎日学校行けたら、そりゃもう立派ですが、その子にとっての適・不適が違うだけで、行けなくても「十分」な面があるはず。
そこにフォーカスしたいよねと思います。